令和7年4月16日
神社役員一同
規約を作成するに至った背景等をご理解頂きたいために、下記に多少長めの文面になりましたが、書き留め致しましたので、お読み下さるよう願います。
長い間、石毛稲荷神社の運営につきましては、宮司の他、宮一自治区の氏子で構成された3名の総代及び役員数名により慣例的に行って参りましたが、諸般の事情により、ここに改めて氏子役員会規約を作り、組織の明確化および分かりやすい運営をはかるべく制定します。
諸般の事情とは、数年に渡るコロナ禍により、大きな神事の祭りである祇園祭を仕切っていた青年会の解散によって、その祇園祭の行事を、神社の神事の実務として運営しなければならなくなったことが重要な一つの事柄です。
また、その他の神事である初午祭や秋の例大祭、及び神社境内地の管理等々の運営も、引き続き継続しなければなりません。しかし、宮一自治区の世帯数の減少、若者減少、役員の高齢化等を迎え、今までどおりの運営が継続しがたくなってきたことが重なり、基本的な運営のあり方を検討せざるを得ない状況になってきていたものです。
かつての宮一自治区の50年位前の世帯数が、約50世帯あったものが今現在では24世帯になり、なお、高齢化も進み、著しく厳しいものがあります。
思い起こしますと、昔、私達が育ってきた子供のころの稲荷神社は、賑やかな場所でありました。
いつも多くの子供たちが遊び、初午祭・秋の例大祭等の集まりでは、新石下の各町内の方々をお迎えし、直会の儀では親睦を深めて、大いに盛り上がったものです。また、老人会がカラオケ会の開催をしたり、奥様の手芸や着付けの勉強会等々があったり、ある意味では、地域社会のコミュニティ形成に役立っていたものと思われます。
今現在の社会を見渡しますと、多くの地域で同じように地域社会の衰退、そして場合によっては崩壊に向かう状況が見受けられておりますが、時代の流れで仕方がないと思う反面、それでいいものかという思いもあります。このような時代状況のなかでも、広く世間を見渡せば、だからこそ今の現状の地域社会を盛り上げようとして、現実に成功している所が多々あります。きっかけとなったのは様々なものがありますが、その大きな力となったのが、昔から脈々と続いている歴史的な地元の祭りが大きく影響していることが分かります。
私たちが育った地域の自然と風土。その風土の中で様々な行事があり、中でも盛大なお祭りは、幼い子供の頃の心地よい、また、ほろ苦い思い出として心に残っているのではないでしょうか。
数々の行事が無くなり、祇園祭だけが残っている状況です。このような状況下で、新石下の大神輿・山車が毎年繰り出せなくなってしまう事は、地域社会の繋がりが希薄になることと思われます。
また、石毛稲荷神社は新石下の村社です。新石下の氏子どうしの繋がり・親睦を深めることは、今後、起きるであろう大地震や、水害などの災禍に助け合う地域社会の同胞意識を高め、防災にも寄与できるものと思います。
このような思いに至り、ここにあらためて、氏子役員会規約を作成したものです。
氏子役員会は、宮一自治区のみの運営から脱して、広く新石下の皆様にも参加して頂き、開かれた そして組織の明確化と、分かりやすい運営を目指していきます。
まずはこれらの事をご理解頂き、賛同してもらえると幸いです。今後、皆様に、機会あるごとにお話をさせてください。皆様のご意見を伺いながら、また推薦されたい方等の情報を頂ければ幸いです。年齢は問いません。若い方の参加もOKです。宜しくお願い致します。